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SHISHAMO(ししゃも)バンドの経歴完全ガイド|結成から活動終了まで徹底解説

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「ししゃも バンド 経歴」と検索されたあなたは、おそらくこんな疑問を抱えているのではないでしょうか。

「SHISHAMOってどうやって始まったバンドなの?」 「メンバーが途中で変わったって本当?」 「なぜ2026年で活動終了するの?」 「代表曲や紅白出場までの道のりを知りたい」

高校の軽音楽部から始まり、紅白歌合戦にまで出場した3人組ガールズバンドSHISHAMO。その16年間の歩みには、メンバー交代という試練、2度の等々力ライブ中止、そして3度目の正直となるラストライブへ向かうドラマがありました。

この記事を読むことで、あなたは以下のことが分かります:

✓ ししゃもバンドが高校軽音楽部で結成されてからメジャーデビューまでの詳しい経緯
✓ メンバー交代の真相と、初代ベーシストから現メンバーへの引き継ぎストーリー
✓ 「君と夏フェス」「明日も」など代表曲が生まれた背景と秘話
✓ 2026年6月に活動終了を決めた理由と、等々力スタジアムへの深い想い
✓ ファンでも知らない裏話(吉川がプロになりたいと言って笑われた話など)
✓ 16年間の活動を一目で把握できる年表

ししゃもバンドの経歴を知ることで、彼女たちの楽曲がより深く心に響くようになるでしょう。それでは、高校生の夢から始まった奇跡の16年間を、一緒に振り返っていきましょう。

>>SHISHAMO (@SHISHAMO_BAND) · X

目次

ししゃもバンドの経歴|結成から現在まで年表

https://shishamo.biz/feature/biography

【結論】ししゃもバンドの経歴は、2010年の高校軽音楽部での結成から2026年の活動終了まで16年間。メンバー交代や2度の等々力ライブ中止を乗り越え、紅白出場を果たした後、3度目の正直となる等々力でのラストライブで幕を閉じます。

ししゃもバンドの経歴は、神奈川県川崎市の高校から始まりました。10代の少女たちが軽音楽部で出会い、やがて日本を代表するバンドへと成長していく物語をご紹介しましょう。

高校軽音部でバンド結成(2010年)

ししゃもバンドの経歴は、2010年春にスタートします。神奈川県にある川崎総合科学高等学校デザイン科の軽音楽部で、宮崎朝子と松本彩(初代ベーシスト)が先輩2人と共に「柳葉魚(ししゃも)」を結成したのです。

当時はまだ高校1年生だった彼女たち。「部活が終わったら解散する普通の高校生バンド」のつもりでした。実際、宮崎朝子本人も後に「高校の3年間、部活としてやって引退するバンドだからなんでもいいかなって気持ちだった」と語っています。

やがて先輩2人が脱退し、夏には同級生の吉川美冴貴がドラムとして加入。ここで現在まで続く3ピース編成が完成しました。3人は同じクラスで、出席番号も近かったそうです。松本が38番、宮崎が39番、吉川が41番という偶然が、彼女たちを結びつけたのかもしれません。

バンド名「柳葉魚」は、宮崎朝子の姉が命名しました。その理由が面白い。「漢字で書くとかっこいいのに読むと可愛いっていうギャップがたまんね~」という感覚的な理由だったのです。しかし面白いことに、当時のメンバー全員が魚のシシャモをあまり好きではなかったとか。後に北海道のむかわ町で本物のシシャモを食べて、3人とも大好きになったそうですけどね。

メジャーデビューまでの道のり(2012-2013年)

ししゃもバンドの経歴において、2012年は大きな転機となった年でした。

2012年春、腕試しのつもりで応募した「TEENS ROCK IN HITACHINAKA 2012」で、ししゃもバンドは優秀賞とベストボーカル賞をダブル受賞します。「宿題が終わらない」「君に告白した理由」「熱冷まシート」の3曲を披露し、審査員を驚かせたのです。

この受賞をきっかけに、バンド名を現在の「SHISHAMO」へ改名しました。理由は単純明快。漢字の「柳葉魚」だと誰も読めなかったから。「やっぱり読めないと覚えられないよね」という現実的な判断でした。こんなにやるってわかってたらもうちょっと考えてました、と後に宮崎は笑って振り返っています。

2012年10月、お試し版CD「宿題が終わらない」をリリース。初音源にもかかわらず、オリコンインディーズチャート7位という快挙を達成しました。この音源を聴いた音楽評論家の鹿野淳氏がTwitterで「未知の大器、高校生バンド見つけました。ししゃも、よろしくお願いします。」と反応し、一気に注目を集めることになります。

その後、ニッポン放送「SHISHAMOのオールナイトニッポンR」でパーソナリティに大抜擢。「オールナイトニッポン史上、最も無名のバンドがパーソナリティに挑戦」という内容でYahoo!ニュースのトップに掲載され、さらに知名度が上がっていきました。

2013年1月、高校生活のまとめ版CD「卒業制作」を発表。3月には初の全国11箇所対バンツアーを「卒業旅行」と題して決行し、無事に高校を卒業しました。

そして2013年11月13日。ししゃもバンドの経歴において最も重要な日がやってきます。デビューアルバム「SHISHAMO」をリリースし、正式にCDデビューを果たしたのです。12月6日のShibuya WWWでの初ワンマンライブはSOLD OUT。高校の軽音楽部から始まったバンドが、わずか3年でメジャーデビューという夢を叶えた瞬間でした。

メンバー交代という大きな転機(2014年)

ししゃもバンドの経歴において、2014年は喜びと別れが交錯した年となりました。

メジャーデビュー後、順調に活動を続けていた2014年7月、ししゃもバンドは初のシングル「君と夏フェス」をリリース。FM802で5週連続1位を獲得し、夏フェス初出演の年ながら10本もの夏フェスに出演するという快進撃を見せます。

しかし、その直後に衝撃的な発表がありました。初代ベーシストの松本彩が、2014年9月11日付でバンドを脱退したのです。

実は松本は、バンド結成時から「バンド活動は20歳まで」と宣言していました。そして2014年8月に20歳の誕生日を迎えたため、約束通りに脱退することを選んだのです。メジャーデビューを果たし、これから本格的にブレイクしようというタイミングでの脱退。周囲からは驚きの声が上がりましたが、彼女の決意は固く、宮崎と吉川もその選択を尊重しました。

松本の脱退後、新たなベーシストとして加入したのが松岡彩でした。そう、名前が「松本彩」から「松岡彩」へ。偶然にも同じ「彩」という字を持つベーシストが続いたのです。

松岡彩との出会いは、実にドラマチックなものでした。大阪で開催されたフェス「RUSH BALL」で、裏方のスタッフとして働いていた18歳の松岡。音楽専門学校ESPエンタテインメントの研修でフェスに参加していた彼女を、宮崎朝子がスカウトしたのです。まさに「ナンパ」のような形での加入でした。

スカウトした理由について、宮崎は「顔が好みだったから」と正直に語っています。大阪出身の松岡は当初、加入を断ろうとしていたそうですが、両親に背中を押され、東京へと飛び出す決断をしました。

こうして、新メンバー松岡彩を迎えたししゃもバンドは、新たな歴史を刻み始めることになります。

人気バンドへの飛躍(2015-2020年)

ししゃもバンドの経歴において、2015年から2020年は飛躍の時期でした。

2015年8月、ししゃもバンドはシングル「熱帯夜」をリリース。この曲でグルーヴ感を全面に押し出したポップサウンドを披露し、音楽性の幅が広がったことを印象づけました。夏の湿度と気だるさを感じさせる洗練されたバンドサウンドは、多くの音楽ファンを魅了します。

そして2016年1月、ししゃもバンドの経歴において大きなマイルストーンとなる出来事が起こります。CDデビューからわずか2年で、日本武道館単独公演が完売したのです。高校生バンドだった彼女たちが、日本のアーティストなら誰もが夢見る武道館のステージに立った瞬間でした。

2017年2月、アルバム「SHISHAMO 4」をリリース。このアルバムに収録された「明日も」が、ししゃもバンドの経歴を大きく変えることになります。

「明日も」はNTTドコモ「ドコモの学割」のCMソングとして起用され、お茶の間にもししゃもバンドの音楽が届くようになりました。この曲は地元・川崎フロンターレのホームゲームを観戦した際に、サポーターの応援に心を打たれた宮崎朝子が制作した応援ソング。サッカーファンとしても知られる彼女の想いが詰まった一曲です。

そして2017年12月31日、ししゃもバンドは「第68回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たします。紅白のステージで「明日も」を披露し、全国的な知名度を獲得しました。高校の軽音楽部から始まったバンドが、日本最大の音楽番組に出演する。これほど嬉しいことはなかったでしょう。

2018年は喜びと悔しさが入り混じった年となりました。6月にアルバム「SHISHAMO 5」をリリースし、収録曲「ねぇ、」がカルピスウォーターのCMソングに起用されます。春・夏の2シーズン連続で同じアーティストがカルピスのCMソングを担当するのは初めてのことでした。

7月28日、バンドの地元・川崎市にある等々力陸上競技場でCDデビュー5周年記念ライブ「SHISHAMO NO 夏MATSURI!!!~ただいま川崎2018~」を開催予定でした。しかし、台風12号の関東接近により川崎市に暴風警報が発令され、悔しくも中止に。等々力での悲願のライブは、幻となってしまいました。

2019年6月、ししゃもバンドの経歴を総まとめした初のベストアルバム「SHISHAMO BEST」をリリース。9月には大阪城ホール、さいたまスーパーアリーナでアリーナワンマンライブ「SHISHAMO NO BEST ARENA!!!」を開催し、大成功を収めます。

2020年、再び等々力陸上競技場でのライブ開催を予定していましたが、今度は新型コロナウイルスの影響で再び中止となってしまいました。等々力という場所は、ししゃもバンドにとって特別な意味を持つ場所。2度も中止となったことは、メンバーにとって大きな痛手だったに違いありません。

活動終了の発表(2025-2026年)

ししゃもバンドの経歴において、2025年は最も重要な発表がなされた年となりました。

2023年2月、CDデビュー10周年を記念したコンセプトアルバム「恋を知っているすべてのあなたへ」を発表。デビューから10年、恋や愛を歌い続けてきたししゃもバンドの集大成とも言える作品でした。

2024年4月には約3年ぶりのオリジナルアルバム「SHISHAMO 8」をリリース。6月からは全国ツアー「退屈なハッピーエンドに迷い込んだのは君のせいだ」を開催し、最終公演では5年半ぶりに台北でのワンマン公演も実現させました。

しかし、この頃から変化の兆しがありました。2025年に入ってからは吉川美冴貴の体調不良など、時には困難なこともあったと後にメンバーは語っています。

そして2025年9月27日。東京のZepp Haneda(TOKYO)で開催されたワンマンライブ「残暑お見舞い申し上げます!!!」のアンコールで、宮崎朝子の口から衝撃的な発表がなされました。

2026年6月13日・14日に開催されるライブをもって、ししゃもバンドは活動を終了する。

ラストライブの会場は、2度も中止となった因縁の場所・Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu(等々力陸上競技場)。1日目を「THANKS DAY」、2日目を「GOODBYE DAY」と題し、2日間でそれぞれ内容の違うライブを行うことが発表されました。

公式サイトで発表されたコメントによると、活動終了を決めた経緯はこうです。2024年の初夏、ベーシストの松岡彩から「これからの自分とSHISHAMO」についての話があり、それを受けてバンドとしてどこに向かっていくべきかを3人で考えました。その結果、「SHISHAMOの完結に向かって歩いていこう」という想いに至ったのです。

「SHISHAMOというバンドは私達にとって言葉では言い表せないほど大切なものです。だからこそ、いつか活動を終えるその時まで、SHISHAMOがSHISHAMOとしてあるべき姿であり続けることを全うするんだという強い想いを持って、これまでずっと活動を続けてきました」

「SHISHAMOの終わりについて考えた時、真っ先に思い浮かんだ場所が等々力でした。何度も願ってきたあの場所でのライブをみんなと叶えたい。そして最高に楽しいSHISHAMOの最期の日にしたい」

3度目の正直。ししゃもバンドの16年間の経歴は、2026年6月、等々力という特別な場所で幕を閉じることになります。

【年表】SHISHAMOの16年間を振り返る

ししゃもバンドの経歴を年表で振り返ってみましょう。

2010年 川崎総合科学高等学校軽音楽部で「柳葉魚」結成

2012年 TEENS ROCK IN HITACHINAKA受賞、「SHISHAMO」に改名

2013年 高校卒業、11月13日CDデビューアルバム「SHISHAMO」リリース

2014年 メンバー交代(松本彩脱退、松岡彩加入)、「君と夏フェス」ヒット

2015年 「熱帯夜」リリース、音楽性の幅が広がる

2016年 CDデビューから2年で日本武道館単独公演完売

2017年 紅白歌合戦初出場、「明日も」がNTTドコモCMソングに

2018年 等々力陸上競技場ライブが台風で中止(1回目)、「ねぇ、」がカルピスCMソングに

2019年 初のベストアルバム「SHISHAMO BEST」発売、アリーナツアー成功

2020年 等々力陸上競技場ライブがコロナで中止(2回目)

2021年 初のコンセプトEP「ブーツを鳴らして」リリース

2022年 初の対バンツアー「開国2022」開催

2023年 CDデビュー10周年、コンセプトアルバム「恋を知っているすべてのあなたへ」発表

2024年 アルバム「SHISHAMO 8」リリース、台湾公演実現

2025年 9月27日、2026年6月での活動終了を発表

2026年 6月13日・14日、等々力陸上競技場でラストライブ「SHISHAMO THE FINAL!!!」開催予定


ししゃもバンドのメンバー経歴と代表曲

【結論】ししゃもバンドは、宮崎朝子(ギター&ボーカル)、松岡彩(ベース)、吉川美冴貴(ドラム)の3人組。代表曲「君と夏フェス」「明日も」「ねぇ、」などのヒット曲を生み出し、等身大の恋愛ソングで10代・20代女性の圧倒的共感を獲得してきました。

ししゃもバンドの経歴を語る上で欠かせないのが、3人のメンバーそれぞれの個性と、彼女たちが生み出してきた数々の名曲です。

現在のメンバー3人のプロフィール

ししゃもバンドを構成する3人のメンバー。それぞれが個性的な経歴を持ち、バンドに欠かせない存在となっています。

宮崎朝子(ギター&ボーカル)

1994年12月22日生まれの宮崎朝子は、ししゃもバンドの中心的存在です。ほぼ全楽曲の作詞作曲を担当し、バンドの音楽性を決定づけてきました。

幼少期から歌うことが大好きで、ベビーカーの中でも歌っていたという筋金入りの音楽好き。中学生の時の合唱コンクールでは、パートリーダー兼伴奏を担当したほどの実力者でした。

意外なことに、小さい頃の夢は漫画家だったとか。実際、イラストが得意で、ししゃもバンドのジャケットや公演イラスト、グッズデザインのほぼ全てを手掛けています。アーティストとしての才能は、音楽だけにとどまらないのです。

性格的には人を信じないタイプだと本人は語っており、座右の銘は「無い」とのこと。理由は「私は人を信じてない。人の言葉とかも信じてないから」という独特の価値観を持っています。

好きな食べ物はぷりぷりした海老、卵の黄身、じゃがりこ、アボカド。好きな飲み物はコーラ。趣味は海外ドラマを見ることで、人生で一番好きなドラマは「Breaking Bad」と「マンハッタンラブストーリー」だそうです。

松岡彩(ベース)

1996年1月31日生まれの松岡彩は、ししゃもバンドの2代目ベーシストです。大阪出身で、18歳の時にフェスの裏方スタッフとしてスカウトされ、バンドに加入しました。

メンバーの中では最年少で、左利き(ただしベースを弾く時以外)。足のサイズは22.5cmと小さめです。特技は手際の良い搬入搬出で、ライブのセッティングではその実力を発揮しています。

性格はおっとりしており、「大阪娘のやかまし娘、落ち着きが無い」と自己紹介していますが、ライブで緊張しているのか気合が入っているのかもわかりにくく、最後に感情がこみ上げて泣いてしまうこともあるとか。メンバーやファンから愛されるキャラクターです。

好きな食べ物はクリームチーズ。川崎のおすすめスポットは「川崎駅の映画3カ所」で、趣味はゲーム。人生のバイブルになっている漫画は「交響詩編エウレカセブン」、人生で一番好きなドラマは「Nのために」だそうです。

最近のマイブームは恋愛リアリティーショーを見ること。「ラブキャッチャージャパン」や「ラブデッドライン」を見ており、殿堂入りは「ラブランジット」とのこと。

吉川美冴貴(ドラム)

1994年11月26日生まれの吉川美冴貴は、ししゃもバンド結成時からのオリジナルメンバーです。ドラムとバンドリーダーを担当し、時々作詞も手掛けています。

小学生の時からサッカーに打ち込んでおり、バンドとサッカーのどちらを優先するか悩んだ時期もあったそうです。小さい頃の夢はサッカー選手で、今でもリフティングが特技。ししゃもバンドの活動中にJリーグの開幕戦で始球式を務めたこともあるほどの実力者です。

ドラムを始めたのも小学生の頃。先生が希望者にドラムを教える機会があり、そこで初めてドラムに触れたことがきっかけでした。高校時代には他のバンドからも声を掛けられるくらいの腕前だったとか。

自称「エゴサの鬼」で、Twitterで自分たちに関するツイートがあるかどうかチェックするエゴサーチをしているそうです。ラジオでコーナーを持つほどのエゴサ好き。

筋トレが趣味で、理由は「SHISHAMOで長くドラムを叩きたいから」。オートミールなど体に良いものを好んでおり、好きな食べ物は焼き芋、茄子の揚げ浸し、カボチャの煮物。健康志向の一面も持っています。

2024年7月には、同性女性とパートナーシップの宣誓を行ったことを発表しました。

代表曲で振り返るバンドの軌跡

ししゃもバンドの経歴は、数々の名曲とともにあります。代表曲を通じて、彼女たちの歩みを振り返ってみましょう。

「僕に彼女ができたんだ」(2013年)

ししゃもバンドの経歴において記念すべきデビューアルバム「SHISHAMO」の1曲目に収録された楽曲です。YouTubeのMVは1100万回再生を超え、ししゃもバンドの名を広く知らしめた初期の代表曲となりました。

この曲の特徴は、作詞を担当したのがドラムの吉川美冴貴だということ。ほとんどの楽曲を宮崎朝子が手掛ける中、この曲は吉川の感性が光る隠れた名曲なのです。

内容は、彼女ができたことを周りに言いふらしたいけれど、それができないもどかしさを表現したもの。「付き合ってることはみんなに内緒」という秘密のお付き合いを始めたカップルの、甘酸っぱい気持ちが描かれています。学生時代、誰もが経験したような冷やかしや恋愛話を思い出させる、等身大のラブソングです。

テレビ東京系「JAPAN COUNTDOWN」と長崎国際テレビ「AIR」のエンディングテーマにも起用され、ししゃもバンドの経歴に大きな一歩を刻みました。

「君と夏フェス」(2014年)

ししゃもバンドの経歴において、初のシングル曲となった記念すべき一曲です。FM802で5週連続1位を獲得し、夏フェスの定番曲として今も歌い継がれています。

この曲は松本彩(初代ベーシスト)が参加した最後のシングル。MVは2014年5月開催の音楽フェス「VIVA LA ROCK」で撮影されました。好きな人とフェスに行く高揚感、音楽の熱狂と恋心の間で揺れる主人公の心情が甘酸っぱく描かれています。

「JAPAN COUNTDOWN」のエンディングテーマにも起用され、ししゃもバンドを全国区へと押し上げた重要な楽曲。2020年代以降にバイラルヒットして、今や夏の定番曲として幅広い世代に愛されています。

アルバム「SHISHAMO 2」にも収録され、この曲をきっかけにししゃもバンドにはまったという人も多い名曲中の名曲です。

「明日も」(2017年)

ししゃもバンドの経歴を代表する最大のヒット曲と言えば、この「明日も」でしょう。NTTドコモ「ドコモの学割」のCMソングとして起用され、2017年12月31日の紅白歌合戦でも披露されました。

この曲は、地元・川崎フロンターレのホームゲームを観戦した際に、サポーターの熱量に感動した宮崎朝子が制作した応援ソング。川崎フロンターレは、ししゃもバンドのメンバー全員がファンだと公言しているサッカーチームです。

MVは等々力陸上競技場で撮影され、川崎フロンターレのチャント(応援歌)にもなりました。サッカーファンとししゃもファンの両方から愛される、特別な一曲です。

ちなみに2020年には、川崎フロンターレの中村憲剛選手の引退に際して、スキマスイッチの常田真太郎と共同で「天才の種」を制作。12月21日の引退セレモニーで発表するなど、川崎フロンターレとの絆はさらに深まっていきました。

「ねぇ、」(2018年)

2018年6月にリリースされたアルバム「SHISHAMO 5」に収録された楽曲で、カルピスウォーターのCMソングに起用されました。

片思いの切なさを爽やかなメロディに乗せて描いた本作は、好きな人に「ねぇ」と声をかけたい気持ちと、なかなか勇気が出せない葛藤を繊細に表現しています。多くの人の共感を呼び、ししゃもバンドの経歴において重要な一曲となりました。

春・夏の2シーズン連続で同じアーティストがカルピスのCMソングを担当するのは初めてのことで、ししゃもバンドの人気を示すエピソードとなっています。

バンド名「ししゃも」の由来と意味

ししゃもバンドの経歴を語る上で、ユニークなバンド名の由来は欠かせません。

2010年、バンド結成時のことです。バンド名を決める際、宮崎朝子の姉に命名を委ねることになりました。当時は「高校の3年間、部活としてやって引退するバンドだからなんでもいいかなって気持ち」だったと宮崎は振り返っています。

姉が提案したのが「柳葉魚(ししゃも)」という名前。その理由がとてもユニーク。「漢字で書くとカッコイイのに読むとカワイイっていうギャップがたまんね~」という感覚的な理由だったのです。

確かに「柳葉魚」という漢字を見ると、どこか風流で格好良い印象を受けます。しかし「ししゃも」と読むと、途端に可愛らしく親しみやすい響きに変わる。この二面性が、力強さと繊細さを併せ持つししゃもバンドの音楽性を象徴しているようにも感じられます。

面白いエピソードがあります。実は当時のメンバー全員が、魚のシシャモをあまり好きではなかったのです。バンド名になった魚を好きじゃないというのも、なんとも不思議な話ですよね。

しかし後日、北海道のむかわ町を訪れた際に本物のシシャモを食べたところ、3人ともシシャモが大好きになったそうです。今では、バンド名にふさわしく、シシャモへの愛も深まっているのでしょう。

ただ、漢字表記の「柳葉魚」には大きな問題がありました。誰も読めなかったのです。ライブハウスのスタッフも、音楽関係者も、誰一人として「ししゃも」と読んでくれない。覚えてもらえなければ、バンドとして広がっていくこともできません。

そこで2012年、TEENS ROCK IN HITACHINAKAで受賞した際に、アルファベット表記の「SHISHAMO」へと改名することを決断しました。宮崎は後に「こんなにやるってわかってたらもうちょっと考えてました(笑)」と笑って振り返っていますが、結果的にこのユニークなバンド名が、ししゃもバンドの個性となり、多くの人の記憶に残るきっかけとなりました。

「やっぱり読めないと覚えられないよね」という現実的な判断。これも、等身大で飾らないししゃもバンドらしいエピソードと言えるでしょう。

ファンが知らないSHISHAMOの裏話

ししゃもバンドの経歴には、ファンでも知らないような裏話やエピソードが数多く隠されています。ここでは、そんな意外な一面をご紹介しましょう。

メンバー全員がシシャモ(魚)が苦手だった

前述の通り、バンド結成当時はメンバー全員が魚のシシャモを好きではありませんでした。バンド名になった食べ物が苦手というのは、なんとも皮肉な話。しかし北海道むかわ町で本物のシシャモを食べて以来、3人とも大好物になったそうです。「バンド名に恥じない」という思いもあったのかもしれませんね。

吉川が「プロになりたい」と言って宮崎に笑われた話

ししゃもバンドの経歴において、最も重要な転機となったエピソードがあります。

高校時代、バンドは「3年間で引退」という前提でした。しかし吉川美冴貴だけは違っていたのです。「SHISHAMOっていうバンドが凄く好きで、その先も続いていってほしいと思ってた」と後に語っています。

ある日、吉川は宮崎に「私プロになりたい」と打ち明けました。すると宮崎は、その言葉に対して笑ってしまったのです。

「ビックリしちゃって。(プロになるなんて)考えたこともなかったんで」と宮崎は振り返ります。

その反応に吉川は怒って、家に帰ってしまいました。当時の吉川にとって、SHISHAMOを続けることは真剣な願いだったのです。「どうしたらいいんだろう?って考えたら、続けていくにはプロになるしかないんじゃないか」という思いから出た言葉でした。

もし吉川のこの決意がなければ、ししゃもバンドの経歴は高校卒業で終わっていたかもしれません。笑われても諦めなかった吉川の情熱が、今のSHISHAMOを作り上げたと言えるでしょう。

“鎖国バンド”と呼ばれる理由

ししゃもバンドは、自らを「鎖国バンド」と称しています。その理由は、対バンが少なく他のバンドとの交流があまりないから。

比較的親交のあるthe pillowsの山中さわおからは、その活動方針を「やり方が独特で変わっている」と評されています。多くのバンドが横のつながりを大切にする中、ししゃもバンドは独自の道を歩んできました。

しかし2022年には、初となる対バンツアー「SHISHAMO NO OMANEKI TOUR!!! 〜開国2022〜」を開催。文字通り「開国」したことで話題になりました。長年「鎖国」してきたバンドが、ついに扉を開いた瞬間でした。

等々力スタジアムへの想い(3度目の正直)

ししゃもバンドの経歴において、等々力陸上競技場は特別な意味を持つ場所です。

2018年7月、CDデビュー5周年記念ライブ「SHISHAMO NO 夏MATSURI!!!~ただいま川崎2018~」を開催予定でしたが、台風12号の影響で中止に。

2020年8月、再び等々力でのライブを予定していましたが、今度は新型コロナウイルスの影響で中止となりました。

2度も夢を断たれた等々力。しかし2025年9月27日、ついに3度目の開催が決定します。それも、ししゃもバンドのラストライブとして。

「SHISHAMOの終わりについて考えた時、真っ先に思い浮かんだ場所が等々力でした。何度も願ってきたあの場所でのライブをみんなと叶えたい」というメンバーの言葉からは、等々力への深い想いが伝わってきます。

3度目の正直。2026年6月、ついに悲願のライブが実現します。

川崎フロンターレとの深い絆

ししゃもバンドのメンバー全員が、地元のサッカーチーム・川崎フロンターレの大ファンです。

宮崎朝子は試合観戦の体験を元に「明日も」を作曲し、この曲は川崎フロンターレのチャント(応援歌)となりました。等々力陸上競技場でMVを撮影したことも、ファンにとっては特別な思い出です。

2020年には、伝説的選手・中村憲剛の引退に際して、スキマスイッチの常田真太郎と共同で「天才の種」を制作。12月21日の引退セレモニーで発表されました。

音楽とサッカー、そして地元・川崎への愛。これらが交わる場所が等々力陸上競技場であり、だからこそラストライブの会場として選ばれたのでしょう。

SHISHAMOの音楽的特徴と魅力

ししゃもバンドの経歴を彩る音楽には、他のバンドにはない独特の魅力があります。

等身大の恋愛ソング

ししゃもバンドの最大の特徴は、飾らない等身大の恋愛ソングです。宮崎朝子が手掛ける歌詞は、10代・20代の女の子が実際に経験するような恋心や日常を、ストレートに表現しています。

片思い、初恋、別れ、嫉妬、喜び、悲しみ。誰もが通る道を、誰もが感じる言葉で綴る。だからこそ、多くのリスナーが「自分のことを歌っている」と感じるのです。

「僕に彼女ができたんだ」では秘密のお付き合いの甘酸っぱさを、「君と夏フェス」では好きな人とフェスに行く高揚感を、「明日も」では応援する気持ちを。どの曲も、リアルな感情が詰まっています。

10代・20代女性の共感を呼ぶ歌詞

ししゃもバンドの歌詞が支持される理由は、その共感性の高さにあります。

宮崎朝子は、女の子の心の動きを映画のワンシーンのように切り取ります。「君の大事にしてるもの」では、レスポールや漫画やライダースジャケットといった「君の大事なもの」を全部壊して、「私」だけを見てほしいという、ある意味狂気的な愛を描きました。

フィクションとして書かれた歌詞ですが、主人公の妄想がどんどん暴走していく様を淡々と歌う宮崎の歌唱は、むしろその物語にリアリティを宿します。誰もが心の奥底に持っている独占欲や嫉妬心を、音楽として昇華させているのです。

3ピースバンドの力強いサウンド

ギター、ベース、ドラムというシンプルな3ピース編成ながら、ししゃもバンドのサウンドは驚くほど豊かです。

宮崎朝子のギターは、ロックなリフからキャッチーなアルペジオまで幅広く、曲によって表情を変えます。松岡彩のベースは、グルーヴ感と力強さを兼ね備え、バンドの土台を支えています。吉川美冴貴のドラムは、安定したリズムキープと感情に合わせた表現力で、曲に命を吹き込みます。

3人だけとは思えない音の厚みと迫力。それが、ししゃもバンドのライブパフォーマンスの魅力でもあります。

ポップとロックの絶妙なバランス

ししゃもバンドの音楽性は、ポップさとロックさの絶妙なバランスが特徴です。

「君と夏フェス」や「明日も」のようなキャッチーで明るいポップナンバーがある一方で、「熱帯夜」のようなグルーヴィーでR&Bフィールのある楽曲、「夏の恋人」のようなしっとりとしたバラードまで。

その幅広い音楽性こそが、ししゃもバンドの経歴において多くのファンを獲得してきた理由なのでしょう。


まとめ:高校生バンドから国民的バンドへ

ししゃもバンドの経歴は、2010年に高校の軽音楽部で結成されてから、2026年6月の活動終了まで、16年間に及ぶドラマチックな物語です。

「高校3年間で引退するバンド」のつもりだった3人の少女が、わずか3年でメジャーデビュー。そこからメンバー交代という困難を乗り越え、紅白歌合戦出場、武道館・アリーナ公演の成功と、階段を駆け上がってきました。

ししゃもバンドの経歴が多くの人の心に残るのは、彼女たちが常に「等身大」であり続けたからでしょう。10代・20代の女の子の恋心を、飾らずストレートに歌う。その姿勢は、デビューから一貫して変わりませんでした。

「SHISHAMOというバンドは私達にとって言葉では言い表せないほど大切なものです。だからこそ、いつか活動を終えるその時まで、SHISHAMOがSHISHAMOとしてあるべき姿であり続けることを全うするんだという強い想いを持って、これまでずっと活動を続けてきました」

この言葉通り、ししゃもバンドは最後まで自分たちらしさを貫き通します。2026年6月13日・14日、等々力陸上競技場でのラストライブ「SHISHAMO THE FINAL!!! 〜Thanks for everything〜」。

3度目の正直で叶う等々力での公演。それは、ししゃもバンドの経歴の集大成であり、ファンへの最高のプレゼントとなるでしょう。

高校の軽音楽部から始まった小さな物語が、多くの人の心に残る大きな伝説へと変わった。それが、ししゃもバンドの16年間の経歴なのです。


ししゃもバンド経歴まとめ|知っておきたい重要ポイント

ここまでお伝えしてきたししゃもバンドの経歴について、重要なポイントを箇条書きでまとめます。

ししゃもバンドの経歴|結成から現在まで年表

  • 2010年に川崎総合科学高等学校の軽音楽部で「柳葉魚」として結成され、16年間の活動を経て2026年6月に活動終了
  • 高校時代のTEENS ROCK受賞が転機となり、2013年11月13日にメジャーデビューを果たす
  • 2014年にメンバー交代を経験し、初代ベーシスト松本彩から現ベーシスト松岡彩へと引き継がれる
  • 2015年から2020年にかけて「君と夏フェス」「明日も」などのヒット曲を連発し、2017年には紅白歌合戦初出場を達成
  • 2度の等々力ライブ中止を乗り越え、2026年6月に3度目の正直となるラストライブで活動終了を迎える

ししゃもバンドのメンバー経歴と代表曲

  • 現メンバーは宮崎朝子(Gt.Vo/1994年生)、松岡彩(Ba/1996年生)、吉川美冴貴(Dr/1994年生)の3人組
  • 代表曲は「僕に彼女ができたんだ」「君と夏フェス」「明日も」「ねぇ、」で、CMソングや紅白で披露された国民的ヒット曲が多数
  • バンド名「ししゃも」は宮崎朝子の姉が命名し、「漢字で書くとカッコイイのに読むと可愛い」というギャップから生まれた
  • 吉川が「プロになりたい」と宮崎に告白して笑われた話や、”鎖国バンド”と呼ばれる独自スタイルなど、ファンが知らない裏話が多数存在
  • 等身大の恋愛ソングと3ピースバンドの力強いサウンドで、10代・20代女性を中心に圧倒的な共感を獲得

ししゃもバンドの経歴は、高校生の夢から始まり、日本を代表するバンドへと成長した奇跡の物語です。2026年6月、等々力陸上競技場でのラストライブまで、彼女たちの音楽は多くの人々の心に寄り添い続けるでしょう。

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