「小林麻耶さんって最近テレビで見ないけど、今何してるの?」 「結婚して引退したって聞いたけど、その後どうなったんだろう?」 「國光真耶って誰? 小林麻耶さんと同じ人なの?」
こんな疑問を持っていませんか?
かつて「チューボーですよ!」や「世界・ふしぎ発見!」で明るい笑顔を振りまいていた小林麻耶さん。妹の小林麻央さんとともに美人姉妹として注目を集め、TBSアナウンサーからフリーアナウンサーとして第一線で活躍していた彼女が、なぜ表舞台から姿を消したのか気になっている方も多いでしょう。
この記事では、小林麻耶の経歴を1979年の誕生から2025年現在まで完全網羅。結婚、引退、復帰、降板、離婚、改名、再婚、そして女優デビューという激動の人生を、時系列でわかりやすく解説します。
✅ 小林麻耶の経歴(学生時代からTBSアナウンサー時代まで)
✅ 妹・小林麻央との関係が経歴に与えた影響
✅ 結婚相手・國光吟との出会いから現在まで
✅ 芸能界引退・復帰・降板の真相
✅ 「國光真耶」への改名と女優デビューの経緯
✅ 2025年現在の活動内容と収入源
✅ 一目でわかる経歴年表(1979年〜2025年)
小林麻耶の経歴を知ることで、華やかな表舞台の裏にある人間ドラマ、そして逆境を乗り越えて新しい道を切り開く姿勢が見えてきます。
それでは、小林麻耶の経歴を詳しく見ていきましょう。
小林麻耶の経歴【学生時代〜TBS時代】
小林麻耶の経歴は、青山学院大学在学中の「恋のから騒ぎ」出演がきっかけでスタートしました。2003年にTBSへ入社後、わずか1年目で5本のレギュラー番組を獲得する異例の快進撃を見せ、「チューボーですよ!」「世界・ふしぎ発見!」などで人気アナウンサーとして活躍。妹・小林麻央さんとの美人姉妹としても注目を集めました。
小林麻耶の経歴を語る上で欠かせないのが、学生時代からTBSアナウンサーとして活躍した時期です。青山学院大学在学中にテレビ出演を果たし、その後TBSに入社して一気にスター街道を駆け上がりました。
ここからは、小林麻耶の経歴の中でも特に輝かしい時代を詳しく見ていきましょう。
青山学院大学時代の経歴と「恋のから騒ぎ」出演
小林麻耶の経歴における転機は、青山学院大学時代に訪れました。1999年、20歳の時に同大学文学部英米文学科に入学した彼女は、学生生活を謳歌していたんです。
転機となったのは、慶應義塾大学の三田祭に遊びに行った際のこと。そこで声をかけられたことがきっかけで、日本テレビの人気番組「恋のから騒ぎ」第8期生として出演することになりました。番組では前列に座り、明るいキャラクターで視聴者の注目を集めたんですね。
当時の小林麻耶さんの人気ぶりは凄まじいものでした。なんと大学時代、1年間で60人以上の男子学生から告白を受けたというエピソードがあるんです。美人姉妹として妹の麻央さんとともに話題になり、キャンパスでも常に注目の的だったと言います。
「恋のから騒ぎ」への出演を通じて、小林麻耶さんはテレビの影響力を実感しました。番組放送後には多くのファンレターが届き、この体験が彼女をアナウンサーという職業へと導いたのです。
大学時代はテニスサークルに所属しながら、アナウンサースクールにも通うという多忙な日々を送っていました。さらに中学・高校の英語教員免許も取得するなど、将来に向けて着実に準備を進めていた時期でもあります。
TBSアナウンサー時代の経歴と代表番組
2003年4月、青山学院大学を卒業した小林麻耶さんは、念願のTBSにアナウンサーとして入社しました。この時点で小林麻耶の経歴は、本格的なアナウンサー人生へとシフトしていきます。
驚くべきことに、入社1年目にして5本のレギュラー番組を獲得するという異例の快挙を成し遂げました。新人アナウンサーとしては異例のスピード出世でしたね。同期には高野貴裕さん、高畑百合子さんがいましたが、小林麻耶さんの活躍ぶりは群を抜いていました。
TBSアナウンサー時代の小林麻耶の経歴で特に印象的だったのが、2004年10月から担当した「チューボーですよ!」の4代目アシスタントです。堺正章さんとのコンビは視聴者に好評で、明るく元気なキャラクターが番組を盛り上げました。
また「世界・ふしぎ発見!」では、リポーターとしての才能を発揮。「王様のブランチ」では「マヤリン」の愛称で親しまれ、週末の顔として多くのファンを獲得していきます。
さらに「オールスター感謝祭」「輝く!日本レコード大賞」など、TBSを代表する大型番組にも次々と起用されました。2006年バレーボール世界選手権ではキャスターを務めるなど、スポーツ番組でも活躍の場を広げていったんです。
実は小林麻耶さんの存在は、TBSの歴史において重要な意味を持っています。「恋のから騒ぎ」出身という経歴を持つ彼女の成功により、TBSはそれまでの採用方針を転換。タレント性を重視する「アナドル路線」へと舵を切ったのです。
小林麻耶の経歴に影響した妹・小林麻央との関係
小林麻耶の経歴を語る上で、妹・小林麻央さんの存在は切っても切り離せません。麻央さんも姉に続いて「恋のから騒ぎ」第9期生として出演し、その後フリーアナウンサーとして活躍しました。
美人姉妹として芸能界で注目を集めた二人。2006年3月放送の「オールスター赤面申告!ハプニング大賞」で姉妹初共演を果たし、2010年には「SMAP×SMAP」のBISTRO SMAPコーナーで揃ってテレビ出演するなど、仲の良さでも知られていました。
しかし、2014年秋頃から麻央さんが乳がんで闘病していることが2016年6月に公表されました。この出来事は、小林麻耶の経歴において最も辛い時期の始まりとなります。
2016年5月19日、小林麻耶さんは「バイキング」の生放送中に体調を崩し、救急車で搬送されるという事態が起きました。妹の看病と仕事の両立により、心身ともに限界に達していたんですね。同年6月1日には、過労による体調不良のため全ての仕事を休むことが発表されました。
休養中、小林麻耶さんは妹の看病に専念。その様子は度々週刊誌で報じられ、姉妹の絆の深さが伝えられました。2017年4月3日に「バイキング」でVTR出演して約11ヶ月ぶりに仕事復帰を果たしましたが、その約3ヶ月後の6月22日、妹・麻央さんが34歳の若さでこの世を去ったのです。
この悲しみは、小林麻耶の経歴における大きな転換点となりました。後に彼女は「結婚はしないと思っていた私がまさかの結婚をすることになったこのミラクルは、妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので天国でみかねた妹からの最高のプレゼント」とブログで語っています。
TBS退社後のフリーアナウンサー経歴
小林麻耶の経歴において、次の大きな節目となったのが2009年のTBS退社です。実は、TBSが新設する報道番組「総力報道!THE NEWS」のメインキャスターに起用されることが決まっていましたが、フリーアナウンサーとして番組を担当する形になりました。
2009年3月29日にTBSを退社した小林麻耶さんは、妹の麻央さんが所属していたセント・フォースに業務提携という形で所属。フリーアナウンサーとしての経歴をスタートさせます。
「総力報道!THE NEWS」では2009年3月から2010年3月までメインキャスターを務め、報道の現場でも真価を発揮しました。この番組終了後、TBSとの専属契約も解消され、本格的にフリーとしての活動に入っていきます。
フリーアナウンサー時代の小林麻耶の経歴で特筆すべきは、フジテレビ「バイキング」でのレギュラー出演です。2014年4月から2017年4月まで、金曜日、火曜日、木曜日とレギュラーの曜日が変わりながらも、番組の顔として活躍しました。
また、NHK Eテレ「テレビでロシア語」では2013年4月から2017年9月までナビゲーターを務め、教養番組でも存在感を示しました。日本テレビ「誰だって波瀾爆笑」ではMCを担当するなど、活躍の幅を広げていったんです。
BS朝日「極上空間」ではナレーションを担当し、その落ち着いた声質も評価されました。さらにフジテレビ「痛快TV スカッとジャパン」では内田ミキ役で不定期出演し、女優としての才能も開花させていきます。
セント・フォース所属のフリーアナウンサーとして、小林麻耶さんは約9年間にわたって芸能界で活躍。この期間の経歴が、後の人生における大きな財産となっていくことになります。
小林麻耶の経歴年表【1979年〜2009年】
ここまでの小林麻耶の経歴を、一目でわかるように年表形式でまとめました。生まれてから30歳までの軌跡を追っていきましょう。
| 年 | 年齢 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1979年 | 0歳 | 新潟県小千谷市で誕生 |
| 1995年 | 16歳 | 國學院高等学校入学 |
| 1997年 | 18歳 | アメリカ・ノースカロライナ州に9ヶ月留学 |
| 1999年 | 20歳 | 青山学院大学文学部英米文学科入学<br>「恋のから騒ぎ」第8期生として出演開始 |
| 2003年 | 24歳 | 青山学院大学卒業、TBSアナウンサーとして入社<br>入社1年目でレギュラー5本獲得 |
| 2004年 | 25歳 | 「チューボーですよ!」4代目アシスタントに就任<br>「輝く!日本レコード大賞」進行役担当開始(〜2008年) |
| 2005年 | 26歳 | 「王様のブランチ」レギュラー出演開始 |
| 2006年 | 27歳 | バレーボール世界選手権キャスター<br>TBS開局55周年記念アルバム『涙』ジャケット写真に起用 |
| 2009年 | 30歳 | TBS退社、フリーアナウンサーに転身<br>セント・フォース所属<br>「総力報道!THE NEWS」メインキャスター就任 |
この年表を見ると、小林麻耶の経歴がいかに順調だったかがわかりますね。特に20代はアナウンサーとして輝かしいキャリアを築いた時期でした。
小林麻耶の経歴【結婚・引退〜現在】
小林麻耶の経歴は2018年の結婚を機に大きく転換しました。整体師・國光吟さんとの「交際0日婚」後に芸能界を引退しましたが、2019年に復帰するも番組降板と事務所解雇を経験。2022年に「國光真耶」へ改名して女優デビューを果たし、現在は湘南を拠点にブログやスピリチュアル活動で年収5000万円以上を稼ぐなど、独自の道を歩んでいます。
小林麻耶の経歴において、2018年以降は大きな変化の連続でした。結婚、引退、復帰、降板、離婚、改名、再婚、そして女優デビューと、まさに波瀾万丈の日々が続きます。
ここからは、小林麻耶の経歴の中でも特に注目を集めた時期について、詳しく見ていきましょう。
小林麻耶の経歴を変えた結婚と旦那・國光吟
小林麻耶の経歴において最大の転機となったのが、2018年7月24日の結婚です。相手は4歳年下の整体師、國光吟(くにみつ あきら)さんでした。
驚くべきことに、この結婚は「交際0日婚」として話題になりました。実際には約半年の交際期間があったものの、その短さから世間では「交際0日」と表現されたんですね。
國光吟さんは元EXILEのバックダンサーという経歴を持ち、その後外資系アパレル会社でサラリーマンとして勤務。2011年に脱サラしてヨガインストラクターの資格を取得し、「宇宙ヨガ」講師、そしてヒーリング整体師として活動していました。
二人の出会いは、妹・麻央さんの看病疲れから体調を崩していた小林麻耶さんが、心の支えを求めてセミナーやイベントに参加するようになった時期でした。そこで國光さんと知り合い、彼の整体を受けるようになったことがきっかけだったと言われています。
小林麻耶さんは自身のブログで「結婚はしないと思っていた私がまさかの結婚をすることになったこのミラクルは、妹がいなくなり、あまりにも私が悲しみ続けていたので天国でみかねた妹からの最高のプレゼントだと感じています」と綴り、妹への想いを語りました。
しかし、この結婚が小林麻耶の経歴に大きな影響を与えることになります。結婚からわずか10日後の2018年8月3日、彼女は突然セント・フォースとの契約終了を発表。「今後は大好きなメディアの仕事を離れ、全身全霊、家族のために日々たくさん働きたい」として、事実上の芸能界引退を宣言したのです。
約9年間所属したセント・フォースを離れ、家庭に入ることを選んだ小林麻耶さん。この決断は、彼女の経歴における大きな区切りとなりました。
芸能界復帰から番組降板までの経歴
引退から約10ヶ月後、小林麻耶の経歴に再び動きがありました。2019年5月31日、仕事再開を宣言したんです。
所属先は、生島ヒロシさんが会長を務める「生島企画室」。夫の國光吟さんも芸名「あきら。」として同じ事務所に所属し、夫婦揃って芸能活動を再開することになりました。
復帰後、小林麻耶さんはTBS「グッとラック!」に木曜日のコメンテーターとして出演。約3年ぶりにテレビの第一線に戻ってきたんですね。その他、ボートレース番組の司会なども担当し、順調に仕事を再開したかに見えました。
しかし、小林麻耶の経歴に再び暗雲が立ち込めます。2020年11月12日、「グッとラック!」を突然降板することになったのです。
TBS側は「日程的に合わないことがあり」と説明しましたが、本人とTBS、そして所属事務所の言い分に食い違いがあり、降板の理由について様々な憶測が飛び交いました。一部報道では、収録現場に夫が頻繁に姿を見せたことや、仕事への姿勢について問題があったとされています。
さらに同年11月13日、所属していた生島企画室が公式サイトで「弊社所属 小林麻耶 に関するお知らせ」として契約終了を発表。わずか1年半での事務所解雇という事態になりました。
この時期の小林麻耶の経歴は、芸能界での信用を大きく失うという厳しいものとなってしまいます。テレビでの仕事はほぼゼロになり、再び芸能界から姿を消すことになりました。
小林麻耶の現在の経歴【國光真耶として活動】
番組降板と事務所解雇を経験した小林麻耶さんですが、その後の経歴もまた波瀾万丈でした。
2021年3月、夫の國光吟さんのブログで離婚していたことが明らかになります。しかし、これは形式上の離婚であり、実際には同居を続けていたというから驚きですね。この「紙切れ上の離婚」は、世間からの洗脳疑惑や誹謗中傷に対する対抗策だったと説明されました。
そして2022年5月21日、小林麻耶の経歴における大きな決断が発表されます。芸名を「國光真耶(くにみつまや)」に改名し、女優として活動していくことを宣言したんです。
ブログでは「本日より、國光真耶として芸能活動をする運びとなりました」と報告。元夫の姓を名乗り続けることで、小林家との決別の意思を示したとも言われています。実際、この時期に義弟の市川海老蔵さんや家族との関係が悪化していたことが報じられていました。
同年6月には、國光吟さんと再婚。一度離婚した相手と「駆け落ち」のような形で再婚したことも話題になりました。
女優としての小林麻耶の経歴は、2023年10月27日公開の映画「SPELL~呪われたら、終わり~霊能者・馬飼野俊平の事件簿シリーズ」で本格的にスタート。水谷良美役を演じ、銀幕デビューを果たしたんです。
さらに2020年11月3日に開設したYouTubeチャンネル「コバヤシテレビ局」では、妹・麻央さんの誕生日を祝う動画やルームツアー、ゲーム配信などを行っています。2023年2月には総額350万円を超えるゲーミングルームを準備し、「スプラトゥーン3」の配信も行いました。
また、2020年4月にオープンした数秘診断サービス「小林麻耶の幸せ数秘」を通じて、スピリチュアルカウンセラーとしても活動。月額550円のオンラインマガジン「ここだけの話」を運営し、約1200人のフォロワーがいると言われています。
2025年現在の小林麻耶の経歴は、湘南、東京、新潟の3拠点生活を送りながら、多方面で活動を続けているという状況です。2024年には湘南のマンションを購入し、620万円以上するテスラの新車も購入するなど、経済的にも安定した生活を送っているようですね。
小林麻耶の経歴年表【2010年〜現在】
小林麻耶の経歴の後半、フリーアナウンサー時代から現在までを年表で振り返ってみましょう。激動の15年間がここに詰まっています。
| 年 | 年齢 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 2010年 | 31歳 | 「総力報道!THE NEWS」終了、TBSとの専属契約解消<br>本格的にフリーアナウンサーとして活動開始 |
| 2013年 | 34歳 | NHK Eテレ「テレビでロシア語」ナビゲーター就任(〜2017年) |
| 2014年 | 35歳 | フジテレビ「バイキング」レギュラー出演開始(〜2017年) |
| 2016年 | 37歳 | 5月:「バイキング」生放送中に体調不良、救急搬送<br>6月:妹・麻央の乳がん闘病が公表される<br>全ての仕事を休養し、妹の看病に専念 |
| 2017年 | 38歳 | 4月:約11ヶ月ぶりに仕事復帰<br>6月22日:妹・小林麻央が逝去(享年34歳) |
| 2018年 | 39歳 | 7月24日:整体師・國光吟と結婚(交際0日婚)<br>8月3日:セント・フォース退所、芸能界引退を発表 |
| 2019年 | 40歳 | 5月:仕事再開を宣言、生島企画室所属<br>TBS「グッとラック!」出演開始 |
| 2020年 | 41歳 | 4月:数秘診断サービス「小林麻耶の幸せ数秘」オープン<br>11月:YouTubeチャンネル「コバヤシテレビ局」開設<br>11月:「グッとラック!」降板、生島企画室との契約終了 |
| 2021年 | 42歳 | 3月:國光吟と離婚(形式上)<br>12月:舞台「受付」出演 |
| 2022年 | 43歳 | 4月:NPO法人「NPO愛のプロジェクト」設立<br>5月:芸名を「國光真耶」に改名<br>6月:國光吟と再婚 |
| 2023年 | 44歳 | 2月:総額350万円超のゲーミングルーム完成<br>7月:夫から誕生日プレゼントとして新潟のマンションを贈られる<br>10月:映画「SPELL~呪われたら、終わり~」で女優デビュー |
| 2024年 | 45歳 | 4月:湘南のマンション購入<br>5月:テスラの新車(620万円超)購入<br>湘南、東京、新潟の3拠点生活開始 |
| 2025年 | 46歳 | 新潟のタワーマンション「アイコニックタワー新潟ステーション」完成予定<br>湘南を拠点に女優・スピリチュアルカウンセラーとして活動中 |
この年表を見ると、小林麻耶の経歴がいかに波瀾万丈だったかが一目瞭然ですね。妹の死という悲しみを乗り越え、結婚、引退、復帰、降板、離婚、再婚と、人生の浮き沈みを経験しながらも、常に前を向いて歩み続けてきた姿が見えてきます。
小林麻耶の経歴から見る現在の収入源
テレビでの仕事がほぼなくなった現在、小林麻耶の経歴から考えると「どうやって生活しているの?」と疑問に思う方も多いでしょう。実は彼女、複数の収入源を持っているんです。
Amebaブログ運営が最大の収入源
小林麻耶の経歴における転換期に始めたAmebaブログが、現在の主要な収入源となっています。「まや☆道 國光真耶オフィシャルブログ」として運営されており、推定年収は5000万円以上とも言われているんですね。
妹・麻央さんが亡くなった際には大きなアクセスを集め、その後も根強いファンが多いことから、安定した収入を得ているようです。2024年からは「女性タレント部門」で活動を再開し、日常の様子を定期的に投稿しています。
YouTubeチャンネル「コバヤシテレビ局」
2020年11月に開設したYouTubeチャンネルも、小林麻耶の経歴における新たな収入源です。妹・麻央さんの誕生日を祝う動画から始まり、ルームツアーやゲーム配信などを行っています。
2023年には総額350万円を超えるゲーミングルームを準備し、「スプラトゥーン3」にハマっている様子を配信。ただし、アクセス数はそれほど多くないようで、現在は更新頻度が減っているとのことです。
スピリチュアルカウンセラー活動
小林麻耶の経歴に新たに加わったのが、スピリチュアルカウンセラーとしての活動です。「國光真耶(小林麻耶)幸せ数秘MAYA部長」という名義で、月額550円のオンラインマガジン「ここだけの話」を運営しています。
フォロワーが約1200人いるため、月に66万円ほど、年間で約800万円の収入になると推定されているんです。以前は60分6000円の数秘術講座も販売していました。
NPO法人「NPO愛のプロジェクト」運営
2022年4月に設立した「NPO愛のプロジェクト」も、小林麻耶の経歴における重要な活動の一つです。「イジメ0」を目指す活動として立ち上げられ、2024年4月には湘南での活用について報告がありました。
NPO法人としての収益構造については公表されていませんが、寄付を募っていることから一定の運営資金があると考えられます。
女優業(映画出演)
2023年の映画「SPELL~呪われたら、終わり~」で本格的に女優デビューを果たした小林麻耶さん。女優としての経歴はまだ浅いものの、今後の出演作品次第では新たな収入源となる可能性があります。
夫・國光吟さんの収入
夫の國光吟さんも「GINヒーリング」という店舗名で宇宙整体師として活動しており、年収は約2000万円とも言われています。完全紹介制のため場所は非公開ですが、ヒーリング要素の強い整体を提供しているそうです。
小林麻耶の経歴から見ると、テレビでの仕事がなくなった後も、複数の収入源を確保することで経済的な安定を保っていることがわかりますね。湘南や新潟にマンションを購入し、テスラの新車を購入できるのも、これらの収入があってこそなのです。
小林麻耶の経歴総括:波瀾万丈な人生から学ぶこと
小林麻耶の経歴を振り返ると、華やかな成功と深い悲しみ、そして新たな挑戦が詰まった人生が見えてきます。ここでは、これまで解説してきた内容を総括し、彼女の経歴における重要なポイントを箇条書きで整理します。
小林麻耶の経歴【学生時代〜TBS時代】の結論
- 青山学院大学時代に「恋のから騒ぎ」出演がきっかけで芸能界入り:慶應義塾大学の三田祭で声をかけられたことが、小林麻耶の経歴のスタート地点となりました
- TBS入社1年目で異例の5本レギュラー獲得:新人アナウンサーとしては異例のスピード出世を果たし、小林麻耶の経歴に輝かしい1ページを刻みました
- 「チューボーですよ!」「世界・ふしぎ発見!」で人気アナウンサーに:明るく親しみやすいキャラクターで視聴者の心を掴み、TBSの顔として活躍しました
- TBSアナドル路線転換のきっかけとなる存在:「恋のから騒ぎ」出身という経歴が、TBSの採用方針を変える転機となりました
- 妹・小林麻央との美人姉妹として注目:姉妹での共演や麻央さんの闘病・死去が、小林麻耶の経歴に大きな影響を与えました
- 2009年フリーアナウンサー転身後も第一線で活躍:セント・フォース所属として約9年間、「バイキング」などで活躍を続けました
小林麻耶の経歴【結婚・引退〜現在】の結論
- 2018年の「交際0日婚」で人生が大転換:整体師・國光吟さんとの結婚が、小林麻耶の経歴における最大の転換点となりました
- 結婚10日後に芸能界引退を突然発表:セント・フォース退所と家庭に入る決断により、約9年間のフリーアナウンサー経歴に幕を下ろしました
- 2019年復帰も2020年に番組降板と事務所解雇:生島企画室所属で復帰したものの、わずか1年半で契約終了という厳しい経験をしました
- 2022年「國光真耶」へ改名し女優転身を宣言:小林麻耶の経歴に新たなページが加わり、2023年に映画「SPELL」で女優デビューを果たしました
- 離婚と再婚を経験し現在も夫と生活:2021年の形式上の離婚と2022年の再婚という複雑な経緯を経て、現在も國光吟さんとの生活を続けています
- 現在はブログ収入年間5000万円超で経済的に安定:テレビでの仕事はほぼないものの、Amebaブログやスピリチュアル活動で独自の収入源を確保しています
- 湘南・東京・新潟の3拠点生活で多方面に活動:2025年現在、女優、ブロガー、YouTuber、スピリチュアルカウンセラーとして活躍中です
小林麻耶の経歴が教えてくれること
小林麻耶の経歴を通じて見えてくるのは、人生における浮き沈みの中でも決して諦めず、新しい道を切り開いていく強さです。TBSアナウンサーとして華々しくスタートした経歴から、妹の死という深い悲しみ、結婚による引退、そして芸能界からの事実上の追放を経験しながらも、現在は「國光真耶」として独自の道を歩んでいます。
テレビという表舞台から姿を消した後も、年間5000万円以上の収入を得る仕組みを作り上げた小林麻耶の経歴は、従来のメディアに依存しない新しい働き方のモデルケースとも言えるでしょう。
46歳を迎えた2025年、小林麻耶の経歴は今もなお更新され続けています。今後どのような展開が待っているのか、彼女の挑戦から目が離せません。