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佐藤綾乃の経歴が凄い!金・銀・銅を制した29歳の全軌跡【2026最新】

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2026年2月、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックで女子チームパシュートの銅メダルを獲得した佐藤綾乃選手。「平昌で金、北京で銀、そしてミラノで銅」という3大会連続メダル・全色制覇という偉業が、多くのスポーツファンの注目を集めています。

この記事では、佐藤綾乃選手の基本プロフィールから幼少期の経歴、五輪3大会の実績、そして引退後の展望まで、その軌跡を網羅的にまとめています。「名前は知っているけれど、どんな経歴の選手なのかよく知らない」という方でも、読み終えるころには佐藤綾乃という人物像を深く理解できる構成になっています。

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目次

【経歴・プロフィール】佐藤綾乃の基本情報まとめ

まずは佐藤綾乃選手の基本プロフィールを整理しておきましょう。

項目内容
生年月日1996年12月10日(29歳)
出身北海道厚岸郡厚岸町
身長157cm
血液型B型
学歴高崎健康福祉大学 人間発達学部こども教育学科
所属ANA(全日本空輸)アスナビ採用・2019年入社
趣味ネイル・ショッピング

スピードスケート選手としてのイメージが強い佐藤選手ですが、その経歴の背景には、漁師の父親のもとで育った北海道の自然環境と、スケート以外にも積極的に挑戦してきた多面的な人物像があります。以下では、その詳細を見ていきます。


佐藤綾乃の出身地・家族構成を経歴から紐解く

佐藤綾乃選手が生まれ育ったのは、北海道厚岸郡厚岸町です。厚岸町は太平洋に面した漁業の町として知られており、牡蠣の名産地として全国的に有名です。厳しい自然環境のなかで、地元の人々が海と向き合いながら生活しているこの町が、佐藤選手の原点となっています。

父親の文則氏は漁師として働いており、荒波の中で仕事をする父の背中を見て育ったことが、佐藤選手の精神的な強さに影響を与えたと考えられています。家族構成は両親と兄・弟の5人家族で、3人きょうだいの真ん中として育ちました。兄は北京五輪の前に地元のメディアで妹へのエールを送るなど、家族の絆の深さがうかがえます。

また、佐藤選手のいとこには、プロ野球選手の佐藤龍世選手(中日ドラゴンズ)と佐藤大雅選手がいます。佐藤龍世選手は同じ厚岸町出身で同い年という縁があり、2019年には龍世選手の試合の始球式に佐藤綾乃選手が登場するなど、家族ぐるみの交流が話題になりました。スケートと野球で、それぞれの競技の頂点を目指すスポーツ一族のエピソードは、多くのメディアでも取り上げられています。


保育士資格も持つ!意外すぎる経歴の裏側

佐藤綾乃選手の経歴で特筆すべきなのが、高崎健康福祉大学で保育士・幼稚園教諭の資格を取得しているという事実です。スポーツ推薦での入学にもかかわらず、大学進学当初の第一目標は「保育士になること」だったというのは、五輪金メダリストのイメージとのギャップから、多くの人が驚かされる話でしょう。

本人はインタビューで「入学したての時は、どちらかというとスケートよりも保育士になるための勉強を頑張りたいという思いの方が強かった」と語っています。当時は日本のトップ選手との差を感じており、五輪出場は遠い夢と感じていたというのが正直なところだったようです。それでも競技と学業の両立を続けながら資格を取得したことは、佐藤選手の努力と誠実さを象徴するエピソードと言えます。


【学歴と経歴】佐藤綾乃のスケート人生の歩み・年表

ここからは、佐藤綾乃選手がどのようにしてスケート選手として成長していったのか、学歴と競技経歴を時系列で整理します。


小学校〜高校時代の経歴:才能が開花した北海道時代

佐藤綾乃選手がスピードスケートを始めたのは、厚岸町立真龍小学校の1年生のころです。スケートの盛んな北海道という環境が、幼少期からの競技基盤を支えました。小学校時代はミニバスケットボールにも熱中していたという一面もあり、多様なスポーツへの関心が旺盛な少女だったことがわかります。

中学時代(厚岸町立真龍中学校)には本格的にスケートへ集中し、中学3年生で出場した全国中学校スケート大会では女子1500mと3000mで優勝を果たします。この結果が評価されてジュニアの日本代表に選出され、国際大会への扉が開かれました。

2012年に釧路北陽高校に進学すると、1年生で全日本ジュニアスピードスケート選手権の総合2位に入り、いきなりその存在感を示します。さらに高校2年生となった2013年には、世界ジュニアスピードスケート選手権大会で高木美帆選手・樋沙織選手とともに女子チームパシュートで金メダルを獲得。高校3年時には全国高等学校スケート選手権大会スピード競技(インターハイ)で女子1500mと3000mの2冠を達成し、全国区の選手として名前が広まりました。


大学〜社会人の経歴:「五輪は無理」と思っていた学生が金メダリストへ

2015年に高崎健康福祉大学へスポーツ推薦で入学した佐藤選手は、前述の通り、当初はスケートよりも保育士の勉強を優先したいという気持ちが強かったと語っています。しかし、大学1年生で出場した2016年世界ジュニアスピードスケート選手権大会では女子マススタートで優勝を飾り、ここから競技に対する意識が大きく変わっていきます。

大学在籍中は競技と学業を高い水準で両立させ、保育士資格および幼稚園教諭の資格を取得。そして在学中の2018年、平昌オリンピックで歴史的な金メダルを掴むことになります。金メダル後のインタビューでも「単位を落とすことなく、これから実習も控えている」とコメントしており、アスリートとしてだけでなく学生としての責任も全うした姿が印象的でした。

大学卒業後の2019年4月には、ANA(全日本空輸)にアスナビ採用制度を通じて入社しました。アスナビとは、JOC(日本オリンピック委員会)が運営する現役トップアスリート向けの就職支援制度であり、競技継続を希望する選手と受け入れ企業のマッチングを目的としています。2024年3月時点で約230社・400名近くのアスリートが同制度を通じて企業に採用されており、佐藤選手もこの制度の活用者の一人です(参考:アスナビ──現役アスリートの就職支援|JOC公式サイト)。社会人アスリートとして競技を続けながら、ANAのサポートを受けつつ北京・ミラノへとオリンピックの舞台に挑み続けました。


【五輪の経歴】3大会連続メダルという偉業の全記録

佐藤綾乃選手の経歴で最も輝かしいのが、3度のオリンピックにわたる実績です。それぞれの大会を詳しく振り返ります。


2018年平昌五輪の経歴|21歳で掴んだ歴史的金メダル

2018年の平昌オリンピックは、佐藤綾乃選手の名が日本中に知れ渡った大会です。女子団体追い抜き(チームパシュート)において、高木美帆選手・高木菜那選手・菊池彩花選手とともに日本チームが出場し、日本女子スピードスケート史上初となる金メダルを獲得しました。このレースでは2分53秒89のオリンピック新記録を樹立しており、当時の五輪における最速タイムとして公式に記録されています(参考:平昌2018 女子チームパシュート公式結果|olympics.com)。

佐藤選手はこの時、冬季五輪日本人女子史上最年少となる21歳73日での金メダリストとなりました。大会後のインタビューでは「メダルが取れるとは思っていなかったので、今回初めて金メダルを取ることができてかなり嬉しい」とコメントしており、当時の率直な心境が伝わってきます。在学中の快挙として大きく報道され、一躍時代の顔となった瞬間でした。


2022年北京五輪の経歴|悔しさの銀と個人4位入賞

2022年の北京オリンピックでは、チームパシュートで銀メダルを獲得。平昌の金メダルに続き、2大会連続でのメダル獲得を果たしました。個人種目の1500mでは4位入賞という結果で、メダルまであと一歩のところで涙を呑みましたが、世界のトップレベルで個人としても戦えることを証明した大会となりました。

チームパシュートでは転倒があったとも報じられ、悔しさと悲しさの入り混じった大会だったとも言われています。しかし佐藤選手はその後も競技への意欲を失うことなく、ANAのサポートのもと練習を重ね、ミラノ五輪へ向けて着実に準備を進めていきました。逆境からも立ち上がり続ける精神力こそが、彼女を長期間トップで戦わせてきた最大の武器と言えるでしょう。


2026年ミラノ五輪の経歴|金・銀・銅、全色コンプリートの偉業

2026年2月、ミラノ・コルティナ冬季オリンピックにおいて、佐藤綾乃選手はスピードスケート女子チームパシュートに出場しました。高木美帆選手・堀川桃香選手とともに臨んだ準決勝ではオランダに惜敗したものの、3位決定戦では高木美帆選手・野明花菜選手とともにアメリカを下し、2分58秒50というタイムで銅メダルを獲得しました。3位決定戦における日本チームとアメリカチームとのタイム差は約4秒で、終始リードを保った安定したレース展開でした(参考:ミラノ・コルティナ2026 スピードスケート女子団体パシュート3位決定戦結果|olympics.com)。

この結果により、佐藤選手は平昌・金、北京・銀、ミラノ・銅と、オリンピック3大会連続メダル・金銀銅全色制覇という日本スピードスケート史上でも類を見ない偉業を達成しました。個人の1500mには1分58秒36で22位という結果で臨み、これが今大会のラストレースとなりました。大会期間中には引退を示唆する発言も報じられており、このミラノ五輪が現役アスリートとしての集大成となる可能性が高い状況です。


【引退後の経歴】佐藤綾乃の次のステージはどこへ?

ミラノ五輪での引退示唆発言が報じられて以降、佐藤綾乃選手が競技を終えた後にどのような人生を歩むのかに関心が集まっています。

最も注目されているのが、大学時代に取得した保育士・幼稚園教諭の資格を活かした転身の可能性です。本人は大学4年時のインタビューで「スケートが終わってからというように考えたい」と話しており、競技引退後に保育の道へ進むことは、学生時代からの夢の延長線上にあると言えます。幼い子どもたちに関わる仕事への思いは、現役時代を通じて変わらず持ち続けてきたようです。

一方で、スケート競技の普及や後進の育成という形での指導者転身という選択肢もあります。3大会のオリンピック経験を持ち、チームパシュートのチーム内連携や隊列維持の技術に長けた佐藤選手は、コーチや指導者としても高いポテンシャルを持つと考えられます。「漁師の娘」として育ち、「保育士志望の大学生」として五輪に出場し、「3大会メダリスト」として競技を終えようとしている佐藤綾乃選手の第二の人生は、どのような形であれ多くのファンが注目しています。


【まとめ】佐藤綾乃の経歴が教えてくれること

この記事では、佐藤綾乃選手の経歴とプロフィールを全方位から紐解いてきました。最後に要点を整理します。

  • 出身:北海道厚岸郡厚岸町。漁師の父・文則氏のもとで育ち、いとこには佐藤龍世選手(中日ドラゴンズ)を持つスポーツ一族。
  • 学歴:高崎健康福祉大学で保育士・幼稚園教諭の資格を取得。「保育士になりたい」という夢を持ちながら競技を続けた。
  • 競技実績:平昌五輪・金(最年少記録)、北京五輪・銀、ミラノ五輪・銅と3大会連続メダル・全色制覇という偉業を達成。
  • 今後:引退示唆発言があり、保育士転身やスケート指導者への転身が注目されている。

「五輪は遠い夢だ」と感じていた大学1年生の女性が、3つのオリンピックですべての色のメダルを掴んで競技を終える——佐藤綾乃選手の経歴は、諦めずに積み重ねることの価値を静かに、しかし力強く示しています。

引退後の動向については、今後新たな情報が入り次第この記事でも随時更新していきます。佐藤綾乃選手の次の挑戦を、引き続き応援しましょう。


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