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趣里の経歴を徹底解説!水谷豊・伊藤蘭の娘から朝ドラヒロインまでの道のり

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朝ドラ「ブギウギ」で一躍話題となった女優・趣里さんについて、「水谷豊と伊藤蘭の娘って知ってたけど、どんな人なの?」「なぜこんなに演技が上手いの?」「バレエをやっていたって本当?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。

芸能界のサラブレッドでありながら、両親の七光りに頼ることなく自分の力で道を切り開いてきた趣里さん。その背景には、バレリーナを目指していた少女時代の挫折と、そこから立ち上がって女優として成功を掴むまでの感動的な物語があります。

この記事では、趣里さんの生い立ちから最新の活動まで、その経歴を時系列で詳しく解説します。記事を読み終える頃には、なぜ趣里さんがこれほど多くの人に愛され、実力派女優として高く評価されているのかが分かるはずです。また、夢を諦めざるを得なくなった時でも、新しい道を見つけて輝ける可能性があることを、趣里さんの経歴から学ぶことができるでしょう。

目次

趣里の生い立ちと経歴|バレエから女優への転身

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趣里さんの経歴は、芸能界のサラブレッドとして生まれながらも、バレリーナの夢を追いかけ、怪我による挫折を乗り越えて女優の道を切り開いた感動的な物語です。4歳から始めたバレエで15歳でイギリス留学を果たしたものの、17歳での大怪我により夢を断念。その後、明治学院大学で演技と出会い、新たな人生の道筋を見つけました。

水谷豊と伊藤蘭の娘として生まれた経歴

趣里さんの経歴を語る上で、まず注目すべきは彼女の生い立ちです。1990年9月21日、東京都で芸能界のビッグネームを両親に持つ一人娘として誕生しました。

父親は「相棒」シリーズで知られる大御所俳優・水谷豊さん、母親は元キャンディーズのメンバーで女優の伊藤蘭さんという、まさに芸能界のサラブレッドとして注目を集めることになります。しかし、趣里さんの経歴を見ると、両親の七光りに頼ることなく、自分自身の力で道を切り開いてきたことが分かるでしょう。

興味深いエピソードとして、趣里さんの誕生日は父親の親友だった俳優・松田優作さんと同じ9月21日なんです。その前年に優作さんが亡くなり、水谷さんは深く落ち込んでいましたが、「娘の誕生のおかげで喜びが訪れた」と語っています。

名前の由来も素敵で、水谷さんが一番好きな言葉「趣き(おもむき)」の「趣」という漢字を使って「趣里」と名付けられました。幼少期は父親の仕事がそれほど多くなく、自転車に乗せて幼稚園への送迎をしてもらうなど、家族との時間を大切に過ごしていた趣里さんの経歴が伺えます。

4歳から始めたバレエ経歴と井上バレエ団時代

趣里さんの経歴において、最も重要な転機となったのがバレエとの出会いです。4歳の時、仲の良かった友達に「一緒にやらない?」と誘われたことがきっかけで、東京・世田谷区にある名門「井上バレエ団」でクラシックバレエを始めることになりました。

当初は「外に出てもあまり喋らないような、とても静かな子だった」という趣里さん。最初はレッスンに行くのも嫌で、「ただついて行っている感じでした」と本人が振り返っているように、決して積極的なスタートではありませんでした。皮肉なことに、きっかけとなった友達はさっさと辞めてしまったそうです。

しかし、6歳で初舞台に立つと、徐々にバレエの魅力に引き込まれていきます。小学2年生の時には「くるみ割り人形」でピンクネズミ役を演じ、「プロの姿ってすごい」と感じたという趣里さん。そして小学5年生の時、憧れだった「くるみ割り人形」の主役・クララ役に抜擢されたことで、本格的にバレリーナを目指すようになったのです。

この時期の趣里さんの経歴を見ると、バレエ一色の生活を送っていたことが分かります。舞台に立って表現したものに対して観客からリアクションをもらえることに幸せを感じ、バレエに夢中になっていきました。中学時代も部活動は行わず、ひたすらバレエに打ち込む日々を過ごしていたそうです。

15歳でイギリス留学|Arts Educational Schools

趣里さんの経歴の中でも特に印象的なのが、15歳という若さでの単身イギリス留学です。中学2年生頃から「本場ヨーロッパで学びたい」と考え始めた趣里さんは、「日本ってちょっと窮屈だな」と感じ、海外でより高いレベルのバレエを学ぶことを決意しました。

桐朋女子中学校を卒業後、まずは都内のインターナショナルスクールに3ヶ月間通って英語を勉強。その後、オーディションに合格し、イギリス・ロンドンにある「Arts Educational Schools(アーツ・エデュケーショナル・スクール)」に入学しました。

この学校は1939年開校の私立バレエ学校で、映画「サウンド・オブ・ミュージック」に主演したジュリー・アンドリュースさんの母校としても知られる名門校なんです。オーディションに合格しないと入学できない厳格な学校で、趣里さんのバレエの実力の高さを物語っています。

留学中の趣里さんの経歴を振り返ると、4人部屋の寮生活という環境で、午前中は学業、午後はバレエレッスンという厳しいスケジュールをこなしていました。最初は英語がまったく分からず、辞書を片手にルームメイトと会話していたそうですが、周りの人が簡単な英語で話してくれたおかげで、気づいたら理解できるようになっていたと振り返っています。

「憧れていたヨーロッパで、好きなバレエにどっぷり浸かれる生活は、幸せだった」と語る趣里さん。この留学経験は、後の女優活動でも活かされることになる貴重な財産となりました。

怪我によるバレリーナの夢断念と帰国

しかし、趣里さんの経歴において最も辛い出来事が17歳の時に訪れます。イギリス留学中、バレエのレッスン中にジャンプの着地で失敗し、アキレス腱断裂と足首の剥離骨折という、バレリーナにとって致命的な大怪我を負ってしまったのです。

医師からは「以前のようには踊れないだろう」という厳しい診断を受け、趣里さんは治療のため留学を中断し、日本に帰国することになりました。バレエ以外にこんなに続いたこともないし、こんなに没頭したこともなかったという趣里さんにとって、この出来事は人生最大の挫折だったでしょう。

「でもバレエは1人でできるものではないし、今までの動きができないとなると周りにも迷惑がかかってしまいます」と語る趣里さん。大好きなバレエを続けたいと思う気持ちと同時に、辞めなければいけないと自分が一番わかっていたのです。

この時期の趣里さんの経歴を見ると、まさに人生の大きな転換点だったことが分かります。バレリーナという夢を諦めざるを得なくなった17歳の少女が、どのようにして新しい道を見つけていくのか。その答えは、次の大学時代にありました。

明治学院大学での学歴と演技の道へ

バレエの夢を断念した趣里さんの経歴は、ここから新たな展開を見せます。「大学に行けば新しい道が見つかるかもしれない」と気持ちを切り替え、まずは高等学校卒業程度認定試験に合格して大学入学の資格を取得しました。

2009年、一般入試で明治学院大学文学部芸術学科に合格・進学します。当初は母親の伊藤蘭さんが日本大学芸術学部出身だったため、同じ大学に進学したと思われていましたが、実際は明治学院大学だったことが後に判明しました。

「演劇の歴史を学んだり、映画鑑賞をする授業や、身体表現の授業などがあって、面白そうだなと思い選びました」と趣里さんが語るように、この大学での学びが後の女優活動の基礎となったのです。

大学時代の趣里さんの経歴で特筆すべきは、塩屋俊さん主宰の演技学校「アクターズクリニック」との出会いです。母親の舞台を見に行って演技に興味を抱くようになった趣里さんは、父親には相談せず、母親にその思いを打ち明けていました。

アクターズクリニックでのレッスンを受けた趣里さんは、演技の面白さに目覚めます。「バレエと演技は、お客様に届けるということが共通している。人に喜びを与える、反応を与える、エンターテインメントって日常に必要不可欠だと思った時に、お芝居もバレエもすごく勇気を自分自身もらった」と振り返っています。

そして塩屋さんから「女優としての道を歩め」という言葉を受け、趣里さんは大学4年生の時に中退を決意。本格的に女優への道を歩み始めることになったのです。

趣里の女優としての経歴と主な活動実績

趣里さんの女優としての経歴は、2011年のデビューから着実に実力を積み重ね、2018年「生きてるだけで、愛。」での日本アカデミー賞受賞、2023年朝ドラ「ブギウギ」主演、そして2025年エランドール賞受賞まで、数々の栄誉に輝く輝かしいものです。バレエで培った表現力を活かし、常に新たな挑戦を続ける姿勢が高く評価されています。

2011年女優デビューから現在までの経歴

趣里さんの女優としての経歴は、2011年3月27日放送のTBS系ドラマ「3年B組金八先生ファイナル『最後の贈る言葉』」から始まります。当時21歳だった趣里さんが演じたのは、金八先生に恋をする中学生・柴崎茜役でした。

年下の共演者からは「ねえさん」と呼ばれ、恋愛相談をされるなど、現場では年上のお姉さん的存在だった一方で、中学生役でも全く違和感がないほどの若々しさを見せていました。この時から趣里さんの演技に対する真摯な姿勢が注目を集めていたのです。

デビュー後の趣里さんの経歴を見ると、舞台から映像作品まで幅広い分野で経験を積み重ねていることが分かります。2015年公開の映画「東京の日」では初主演を果たし、2016年のNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」への出演で知名度を大きく上げました。

特筆すべきは、趣里さんが両親の名前を出すことなく、自分の実力だけで役を掴んできたことです。「自分のことはすべて自分で決めなさい」という両親の教育方針もあり、地道に経験を重ねながら着実にキャリアを築いてきた趣里さんの経歴は、多くの人に感動を与えています。

映画『生きてるだけで、愛。』での受賞経歴

趣里さんの経歴において最も重要な転機となったのが、2018年公開の映画「生きてるだけで、愛。」での主演でした。この作品で趣里さんは、第42回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、一躍注目を集めることになります。

菅田将暉さんとの共演で話題となったこの映画では、趣里さんが演じる主人公・寧子が、心の変化を表現するためにビルの屋上で衣服を脱ぎながら全力疾走するという大胆なシーンが印象的でした。このシーンについて、父・水谷豊さんが激怒したという報道もありましたが、2023年の週刊文春でのインタビューで水谷さん本人がそれを否定しています。

この作品での趣里さんの演技は高く評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞以外にも、第28回日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞、おおさかシネマフェスティバル主演女優賞など、数多くの賞を受賞しました。趣里さんの経歴において、この作品が女優としての地位を確立する重要な作品となったのは間違いありません。

「監督の追い求めているものに少しでも近づきたいし、限界まで出し切りたい」という趣里さんの役者魂が、この作品を通じて多くの人に伝わったのではないでしょうか。

朝ドラ『ブギウギ』主演での経歴と評価

2023年、趣里さんの経歴に新たな輝きを加えたのが、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」でのヒロイン・花田鈴子(福来スズ子)役でした。この役は、戦後の大スター・笠置シヅ子さんをモデルとした役で、応募総数2471人の中から、3回目のオーディションでようやく勝ち取ったものです。

32歳という募集年齢制限ギリギリでの合格だった趣里さん。事務所の先輩である中村倫也さんが2019年にエランドール賞新人賞を受賞した際に「次は趣里だな」と話していたことから、この朝ドラ主演を目標にしていたそうです。

「ブギウギ」での趣里さんの経歴を見ると、単なる演技だけでなく、歌唱力も大いに注目を集めました。主題歌「ハッピー☆ブギ」を中納良恵さん、さかいゆうさんと共に担当し、劇中でも福来スズ子名義で「東京ブギウギ」や「ラッパと娘」などの楽曲を歌い上げました。

特に印象的だったのは、バレエ経験を活かした美しい身体の動きです。視聴者からは「バレエ仕込みの身体の動きがとても美しい」「足先の向きから指の先まで違う」といった絶賛の声が多数寄せられ、趣里さんの経歴において、過去のバレエ経験が見事に花開いた瞬間でした。

最新ドラマ『モンスター』主演の経歴

2024年10月からスタートした趣里さん主演のドラマ「モンスター」は、彼女の経歴において初のゴールデンプライム帯(GP帯)連続ドラマ単独主演作品という記念すべき作品となりました。

型破りな弁護士・神波亮子役を演じる趣里さんは、SixTONESのジェシーさんや古田新太さんとの共演で、現代社会の様々な問題に切り込むリーガルドラマに挑戦しています。このドラマでの趣里さんの経歴を見ると、これまでとは異なる新たな魅力を発揮していることが分かります。

特に話題となったのは、独特な紅茶の注ぎ方やカラオケで熱唱するシーンです。視聴者からは「お父さんのやつwww」「上手すぎ」「さすが福来スズ子!」といった反響が寄せられ、趣里さんの多彩な表現力が注目を集めました。

ジェシーさんからは「趣里さんが座長で本当によかった」というコメントも寄せられ、現場での存在感の大きさを物語っています。この作品を通じて、趣里さんの経歴はさらに幅広いものとなり、女優としての新境地を開拓することになったのです。

2025年エランドール賞受賞の経歴

趣里さんの経歴において最新の輝かしい成果が、2025年2月6日に受賞した「エランドール賞新人賞」です。この賞は1956年にスタートした歴史ある賞で、優れた映画やテレビ作品のキャストやプロデューサーを表彰するものです。

授賞式では、「ブギウギ」で共演した柳葉敏郎さんから「鈴子、おめでとう」と役名で祝福の言葉をかけられ、熱いハグを交わす感動的な場面も見られました。柳葉さんは「最高のご褒美やね!くれぐれも体に気を付けて、さらなる高みで活躍してください」と温かい言葉を贈っています。

趣里さん自身は「このような素晴らしい賞をいただき光栄に思っております」とスピーチ。「エンターテインメントはどの時代にも必ず必要だと思っています。人とモノ作りをすることが心から好きなので、これからも感謝を忘れずに歩んでいけたら」と決意を新たにしました。

また、2025年1月25日には、母・伊藤蘭さんのコンサートツアー最終日のアンコールにゲスト出演し、「買物ブギー」「ラッパと娘」を熱唱して会場を沸かせるという素晴らしいサプライズもありました。親子で手を繋いで歌う姿は、趣里さんの経歴において忘れられない名場面となったのではないでしょうか。

このように、趣里さんの経歴を振り返ると、バレリーナの夢を断念するという大きな挫折から始まり、女優として着実にキャリアを積み重ね、ついには朝ドラヒロインから最新のリーガルドラマ主演まで、幅広い役柄で活躍する実力派女優へと成長してきたことが分かります。今後も趣里さんの経歴にどのような新たな輝きが加わるのか、期待が高まるばかりです。

趣里の経歴まとめ|挫折から栄光への軌跡

これまで詳しく見てきた趣里さんの経歴を、重要なポイントごとに整理すると以下のようになります。

趣里の生い立ちと経歴の要点

  • 芸能界サラブレッドの誕生:水谷豊と伊藤蘭の一人娘として1990年生まれ、両親の七光りに頼らず自力で道を切り開く
  • バレエでの才能開花:4歳から井上バレエ団で始め、小学5年生で「くるみ割り人形」主役に抜擢される実力を発揮
  • 15歳での海外挑戦:イギリスの名門Arts Educational Schoolsにオーディション合格し単身留学
  • 17歳での人生最大の挫折:アキレス腱断裂と足首剥離骨折でバレリーナの夢を断念、帰国を余儀なくされる
  • 新たな道への転換:明治学院大学で演技と出会い、アクターズクリニックで女優への道を見つける

趣里の女優経歴と実績の要点

  • 着実なキャリア構築:2011年「金八先生」デビューから舞台・映像で幅広く経験を積み重ね
  • breakthrough作品での飛躍:2018年「生きてるだけで、愛。」で日本アカデミー賞新人俳優賞など複数受賞
  • 朝ドラでの集大成:2023年「ブギウギ」主演で2471人の中から選ばれ、バレエ経験を活かした歌って踊れるヒロインとして大成功
  • 新境地への挑戦:2024年「モンスター」で初のGP帯連続ドラマ単独主演を果たし、リーガルドラマで存在感を発揮
  • 最新の栄誉:2025年エランドール賞新人賞受賞、母・伊藤蘭との初共演も実現し、経歴に新たな輝きを加える
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